みなさま
ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでしょうか?
(1)
最首塾2011年5月の定例会についてお知らせです。
5月は以前からお伝えしていた通り、前田保さん(滝沢克己協会)のお話です。
(4月の最首塾では最首さんが前田さんに問題提起するように「生きている」というお話をなさいました)。
参考図書は、前田保「滝沢克己の哲学―超越論的な原事実と表現、その定位と射程」があります。
多くの方がお越しくださり、盛会となりますことを祈念しております。
(2)
最首塾ホームページの装いが少しずつ変わっていっています。
今日は、「天災は止められへん。けど、原発は止められる」というパンフレットへのリンクをつけました。
今後まだまだ変化させていく予定ですので、お時間のある時にお越しください。
改めて以下にURLを記しておきますので、どうぞご視聴ください。
最首塾ホームページの目次にも加えておきました。
(3)
4月10日に高円寺で15,000人を集めた反原発デモがありました。
来たる5月7日(土)に同じ主催者が渋谷にて「5.7 原発やめろデモ!!!!!!! 渋谷・超巨大サウンドデモ」をおこないます。
なんかスゴイことになるんじゃないかな、と予感しております。
お時間ある方、ぜひ。
丹波博紀
追伸:
「たとえ、神の代わりに人間が登場するとしても、それになんら変わりはないだろう、何らかのものが絶対的根源として、絶対的価値根拠として君臨するという支配体系の構造そのものには。近代においては、神の座、この「王の場所」には人間が君臨する。しかし、あらゆる王は打倒されねばならぬ。正面からというよりは斜めから、あるいは斜めうしろから……、まじめな体系によってではなく、軽やかな「戯れ」(jeu)によって」。
これはデリダ『グラマトロジー』の訳者・足立和浩さんの『戯れのエクリチュール』(1978年)の冒頭です。1968年、東京大学教養学部の助手をしていた足立さんは、電車で二度も偶然に、S(=最首悟)助手と電車で会い、助手共闘に参加します。69年1月、安田講堂が陥ちたのち、どっと寝込んでしまった彼は学生たちに「あるうしとめたさのようなものを感じていた」といいます。
そして「われわれの闘うべき敵はなお十分に強大であり、そうであるからこそたえざる今後の闘いを築きあげてゆかねばならぬ、ということであった。敵は巨大である。したがって、われわれは当面のあいだ敗北に敗北を重ねてゆくであろう。しかもなお、われわれは闘い続けてゆかねばならない……」(『果てしなき進撃』1969年)。こう69年に書いた足立さんが1978年にまとめられたのが先の『戯れのエクリチュール』でした。
足立さんは87年に若くして亡くなりますが、彼の見つめてきたものは多分現在においてこそ有効なのだと思います。たとえば来たる5月7日(土)の渋谷・超巨大サウンドデモに凝縮されるものは、彼の言う「戯れ」なのかもしれません。
つまり、「まっとうな意味、良識、正気」「伝統的な善/悪の二元論的価値体系」では囲いきれない、おろおろして、「あいまいな」人たちの「戯れ」こそが、「王」の打倒を成し遂げるのだと思います。そして、こうしたある一群の「あいまいな日本の人たち」は――僕もそうした「人たち」の一人だけれども――、結構肝心なことはちゃんと弁えているのです。
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最首塾2011年5月の定例会
特に前半では最首さんの歩みと滝沢の歩みを重ねて紹介なさり、後半では「苦海浄土、いのち、ケアと絶対不可逆」というようなテーマで、最首思想とのコレポンを試みられるそうです。