みなさん
夜分すみません。
以前にもご案内しておりますが、今週末26日(土)に慶大三田キャンパスにて、予備校関係の有志で中心で企画した、
シンポジウム「《敗戦から70年》安保法制 原発再稼働 そして、わたしの立ち位置は」
が開かれます。
「予備校関係者」とありますが、これに関わりなく、多くの方と共に「学びの場」となればと考えております。
最首悟さんも呼びかけ人の中心を担われております!
そこで最首さんにシンポ参加の呼びかけ文を書いていただきました(↓)。
『現代思想 総特集:安保法制を問う』(2015 年10月臨時増刊号)ともつながる論点です!
ぜひぜひお読みいただくとともに、当日ご参集ください!!
また、転送・転載、周囲の関心をお持ちになりそうな方へのお声がけ、ぜひよろしくお願いいたします!!
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◎最首悟さん: 9・26シンポへの呼びかけ
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26日の「予備校人の集い」にご参加ください。安保法制反対の意思表示では、「この私の思い」が行動に出てきたと思います。安保法制反対、原発廃止をの運動はこれからです。「私ひとりでも」でなく、「みんなと一緒に」でもなく、「私が中心なのだ」という思いをみんなが 持つことが求められます。ガタリは遺稿「カオスモーズ」で「主体感」の創出を訴えましたが、それは新たな組織や行動の基いになる「感じ」です。わたしには今その「主体感」は「みんながそれぞれ中心」で、わたしはみんなのひとりであって、「わたしが中心」という感じじゃないかなあ、と思うようになりました。わたしはそのほか大勢として振る舞っていても、またそのように見なされても、「わたしが中心」はいささかもゆるがない、それは私の思い込みではないのだから、という思いが充満している感じです。
何の中心か、それ全体の中心です。人々は全てそれぞれ全体の中心である。では全体とは、全体の中心とは。多数決主義が独裁を支えるシステムを作り変えるために、いまこのような問いかけ が必要であり、議論する課題だと思います。多数独裁を突破するためにお集まりください。
何の中心か、それ全体の中心です。人々は全てそれぞれ全体の中心である。では全体とは、全体の中心とは。多数決主義が独裁を支えるシステムを作り変えるために、いまこのような問いかけ が必要であり、議論する課題だと思います。多数独裁を突破するためにお集まりください。
丹波博紀
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2015.9.26 於慶應義塾大学・三田キャン パス
◎予備校人有志によるシンポジウム◎
《敗戦から70年》 安保法制 原発再稼働 そして、わたしの立ち位置は――
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街角で「あなたのことだ」という言葉を耳にした。偶然聞こえてき たにすぎないのだが、安保法制、原発再稼働は「あなたのことだ」 と言われているように思えた。
「それにしても」と立ち止まる。これらはなぜ、ほかならぬ「わた し」のこいいいとなのか。「わたし」はこれらの事柄とどう関わる のか。この状況のどこに・どう立つのか。そう問いを立ててみる。 もちろん、答えるきっかけは、すぐに思いつく。
安保法制は明らかに憲法9条に違反する。福島原発事故がなかった かのように進められる原発再稼働は、許されるものではない。
ところが、それと「わたし」との関係を考え出すと、さらにあれこ れ想起され、収束しない。もちろん、無関係でないことは理解して いる。だが、「なぜ?」という気持ちがなくなるわけでもない。 ならば、各人各様にその「なぜ?」を解きほぐしたら良いと思う。解きほぐすきっかけとなる場を多く持ちたい。《敗戦から70年》という時間は、その際の参照軸である。
《敗戦から70年》、わたしたちのかかわる予備校は、大学を目指 す人たちの技術と心をサポートするサービス産業であり続けてきた 。予備校は、国の文教政策(いかなる“国民”を育成するか) を側面から支え、とくに近年では格差の拡大と階層の固定化をうな がす役割も担っていると指摘される。わたしたちはこのことに自覚 的でありたいと思う。
他方、予備校は正規ではない〈予備の学び場〉である。だからこそ 、自由に、根源的に問いを発し、共有しうる可能性をもつ「穴場」 であり「解放区」であることも、また事実である。 生徒たちと安保法制や原発再稼働、高等教育の現状をめぐり話すと き、彼ら彼女らの「なぜ?」という眼差しと、それをみずからも引 き受けようとする自分を振り返るとき、そう思う。
予備校内外の人たちとひろく議論する〈予備の学び場〉が必要であ る。わたしの立ち位置にこだわり、安保法制や原発再稼働を中心テ ーマに議論する、このシンポジウムへの参加をひろく呼びかけたい 。
* このシンポジウムにはどなたでも参加できます。
* 参加に際して事前の予約などは必要ありません。直接会場までお越 しください。
2015.9.26 於慶應義塾大学・三田キャン パス
◎予備校人有志によるシンポジウム◎
《敗戦から70年》 安保法制 原発再稼働 そして、わたしの立ち位置は――
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街角で「あなたのことだ」という言葉を耳にした。偶然聞こえてき たにすぎないのだが、安保法制、原発再稼働は「あなたのことだ」 と言われているように思えた。
「それにしても」と立ち止まる。これらはなぜ、ほかならぬ「わた し」のこいいいとなのか。「わたし」はこれらの事柄とどう関わる のか。この状況のどこに・どう立つのか。そう問いを立ててみる。 もちろん、答えるきっかけは、すぐに思いつく。
安保法制は明らかに憲法9条に違反する。福島原発事故がなかった かのように進められる原発再稼働は、許されるものではない。
ところが、それと「わたし」との関係を考え出すと、さらにあれこ れ想起され、収束しない。もちろん、無関係でないことは理解して いる。だが、「なぜ?」という気持ちがなくなるわけでもない。 ならば、各人各様にその「なぜ?」を解きほぐしたら良いと思う。解きほぐすきっかけとなる場を多く持ちたい。《敗戦から70年》という時間は、その際の参照軸である。
《敗戦から70年》、わたしたちのかかわる予備校は、大学を目指 す人たちの技術と心をサポートするサービス産業であり続けてきた 。予備校は、国の文教政策(いかなる“国民”を育成するか) を側面から支え、とくに近年では格差の拡大と階層の固定化をうな がす役割も担っていると指摘される。わたしたちはこのことに自覚 的でありたいと思う。
他方、予備校は正規ではない〈予備の学び場〉である。だからこそ 、自由に、根源的に問いを発し、共有しうる可能性をもつ「穴場」 であり「解放区」であることも、また事実である。 生徒たちと安保法制や原発再稼働、高等教育の現状をめぐり話すと き、彼ら彼女らの「なぜ?」という眼差しと、それをみずからも引 き受けようとする自分を振り返るとき、そう思う。
予備校内外の人たちとひろく議論する〈予備の学び場〉が必要であ る。わたしの立ち位置にこだわり、安保法制や原発再稼働を中心テ ーマに議論する、このシンポジウムへの参加をひろく呼びかけたい 。
* このシンポジウムにはどなたでも参加できます。
* 参加に際して事前の予約などは必要ありません。直接会場までお越 しください。
〇 話題提供者:
・中村雅彦(塾講師/脱原発市民運動)
・和田惠美子(教育研究者/教育史・教育哲学)
・学生ハンスト実行委員会から2名ほど
・〔司会〕丹波博紀(予備校教師/人間学・思想史)
※前半に各人からの話題提供をおこない、後半でみなでの議論とし ます。
〇 日時:
2015年9月26日(土)
13時半開場、14時~17時
〇 場所:
慶應義塾大学・三田キャンパス
(第一校舎102教室)
・アクセス&キャンパスマップ:http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
〇 参加費:
無料(ただし会場でカンパをお願いする場合があります)。
〇 主催:
予備校人の有志のつどい
〇 ホームページ:
http://www.geocities.jp/yobikou_symposium/index.html
〇 twitter:
https://twitter.com/yobikou_sympo
〇 お問い合わせ先:
yobikou.symposium@gmail.com(世話人宛)
・和田惠美子(教育研究者/教育史・教育哲学)
・学生ハンスト実行委員会から2名ほど
・〔司会〕丹波博紀(予備校教師/人間学・思想史)
※前半に各人からの話題提供をおこない、後半でみなでの議論とし ます。
〇 日時:
2015年9月26日(土)
13時半開場、14時~17時
〇 場所:
慶應義塾大学・三田キャンパス
(第一校舎102教室)
・アクセス&キャンパスマップ:http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
〇 参加費:
無料(ただし会場でカンパをお願いする場合があります)。
〇 主催:
予備校人の有志のつどい
〇 ホームページ:
http://www.geocities.jp/yobikou_symposium/index.html
〇 twitter:
https://twitter.com/yobikou_sympo
〇 お問い合わせ先:
yobikou.symposium@gmail.com(世話人宛)