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不知火グループの機関紙であった『動かぬ海』への原稿の依頼
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東大駒場の最首研究室で発足した「不知火グループ」のメンバーであり、最首塾の世話人のひとりであった稲垣聖子さんがお1月18日に亡くなりになりました。発見されたのは翌週の1月23日で、聖子さんは私たちの前から忽然と消えた。旧不知火グループとしては、佐藤真さん、そして稲垣聖子さんと2人も喪ってしまった。まだまだ、元気で、一線で活躍していてもおかしくない年齢なのにもう居ない。2月の初旬に旧不知火グループ有志6名で、お弔いをした。杯を重ねつつ、静かな時間が流れていく。今更ながら、その騒がしさの不在を実感してしまいます。そして、その不在を哀しむために、機関紙『動かぬ海』をもう1回だけ出したい。皆でそう決めた。石牟礼道子さんの『海はまだ光り』という文章の中から、最首先生が選び取った言葉がその名前。
来年には、聖子さんを偲ぶ会が行われます。また、聖子さんは立教大学大学院の博士課程に所属されており、博士論文の完成間近でした。博論は非公開ということで、修士論文集を纏めることにしました。同時に『動かぬ海』(1985年~94年)をもう一度復活させたい。『動かぬ海』に書く。それは不知火グループに参加しているメンバーの年に1回の決意表明みたいなもので、今回は私たちと聖子さんが一緒に何をしてきたのか確認する作業なのかも知れない。彼女は死しんでしまったので、もうその騒がしさを二度と共有することは出来ない。しかし、私たちの記憶の中で彼女は生きていると私は思うのです。彼女の存在は他者の記憶の中に存在する限り、彼女は私たちと共に在る。今でも思い出されて、皆がうなずく記憶、最首研究室の入口には火元責任者の名札が掛かって居て、聖子さんの名前が記されていた。
2016年11月14日
『動かぬ海』復刊編集委員長
服部 眞幸
服部 眞幸
原稿締め切り 2017年3月7日
原稿枚数は自由です。また、絵や写真もOKです。その場合はPDFファイルかJPEGで送ってもらうと有り難いです。
原稿枚数は自由です。また、絵や写真もOKです。その場合はPDFファイルかJPEGで送ってもらうと有り難いです。
◎原稿送付先:Word ファイルなどでの入稿の場合のE-mail address
pidea[ @ ]nifty.com(服部)
miyamoto[ @ ]ishibashiclinic.com(宮本)
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